理事長所信

はじめに

 青年会議所は「まちづくり」団体です。現在では様々なまちづくり団体が存在しますが、青年の高い志と自由な発想をもって、様々な角度からまちづくりを行えるのは、青年会議所の大きな特徴です。

 戦後復興もままならない1949年、荒廃したまちを復興に向けて力強く歩まんと、青年会議所の前身である東京青年商工会議所が設立されて、青年会議所運動の歴史の幕が開けます。

 高い志と熱き想いを持った青年たちの若者らしい自由な発想で、戦後の日本は目覚ましい復興を遂げていきました。 そのあゆみはまちづくりへの熱き想いと共に全国へと飛び火し、1953年5月4日、下関の地において28名の青年により、下関青年会議所が設立されました。
その志と想いは現在も燻ることなく世代を超えて、今日まで受け継がれております。

 青年会議所が誕生した時こそ、この国が輝かしい復興を遂げ、希望あふれる未来へ進んで行く歴史的分岐点であったと確信しております。

 今日の下関においても、人口減少や凶悪犯罪の増加等様々な困難に直面しており、問題解決に向けてどう舵を取って行くかという分岐点に立っています。

 その舵取りを他人任せにするのではなく、我々一人一人が当事者意識を持って考え・行動する事により、希望あふれる未来へ向かっていけるのではないでしょうか。

「基」としての機能、「要」としての役割

 青年会議所において、総務系委員会は「面白くない」や、「華がない」などと度々耳にします。

 確かに、他の対外事業等を行う委員会と比べれば地味な委員会なのかもしれません。

 しかし、組織内において、最も必要とされている委員会も総務系委員会ではないでしょうか。

 各庶務を始め、対外・対内への情報発信や例会の企画担当等、LOM の「基」となる機能を運営する事により、組織の土台が出来上がります。

 また、的確にこなす事で組織をより強固な物にし、まちづくりの一翼を担う事となるのです。そして、他の委員会と連携し円滑に進めることで、組織内での「要」としての役割を果たすことになります。

 過去の運営ノウハウを引き継ぎつつ、例会運営や広報のあり方など時代に即した方法を新たに積み上げて、「基」としての機能、「要」としての役割を次代へ引き継いでいきたいと考えます。

まちの為に自分で「考え・行動する」強い意志をもったひとづくり

 かつて、幕末の志士達は、この国の未来を憂い、考え、行動をしてきました。それは、より良く変えていく為には自分自身で行動を起こしていかなければならないという、強い意志があったからに違いありません。

 では、現在はどうでしょうか。自分の権利ばかりを主張し、義務を果たさない市民が増えているのではないでしょうか。

 例えば、ここ近年の選挙の投票率の下落等が挙げられます。有権者の半数以上が投票へ行かないという事実は、まちの為に考え・行動する人の減少と密接に関係があるのではと考えます。

 しかし、まちに住む市民こそ、この現状を打破し下関が更なる発展を遂げる可能性を秘めた、大きな「たから」でもあります。

 下関市民がまちの為に立ち上がり、考え・行動すれば、必ずこのまちの問題点を全てクリアし、さらなる発展を遂げる事は言うまでもありません。

 下関市民の郷土愛を育み、まちづくりを行う土壌づくりをし、地域を支える一員として市民一人一人が自分のまちの事を考え・行動を起こしていく意識改革を軸に事業展開をしていきたいと考えます。

まちのリーダーたるメンバーの育成・拡大

 青年会議所とは、まちのリーダーとしてあり続けなければなりません。

 1953 年に 28 名の青年によって創られた下関青年会議所は、まちのリーダーとしてあり続け、革新的な事業を展開し、そのまちづくりに対する想いは、今日まで脈々と受け継がれてきました。

 少子高齢化と言われ、我々若い世代が減少する中でも、その想いは後世に残していかなければなりません。

 その為にも、会員の拡大・後進の育成は重要であります。

 会員全員で候補者の情報収集や勧誘等、積極的に拡大活動に取り組んでまいります。

 そして、未来のまちのリーダーとすべく、受け継がれてきた想いを託し、現役会員と共に切磋琢磨する事で後進の育成をしていきます。

 また近年、例会の出席率は向上していき、前年度は 100%例会も達成しました。しかしながら、対外活動においては、未だに参加意識が低いのが現状です。

 一部の会員だけではなく、会員一人一人が当事者意識をもって能動的に行動し、何事にも積極的に参加していく事が、青年会議所活動の原動力となります。

 常に少しの「背伸び」をして活動する様に心がける事により、それが伸び代となり成長し続け、会員資質の向上に繋がります。

 現在の下関青年会議所は歴の浅い若い会員が大半を占めている状況です。だからこそ、今まで以上に会員の資質やまちづくりに対する意識の向上を図る事により、より多くの優秀な人財をまちに残す事が出来ると考えます。

 青年会議所会員の資質向上こそ、このまちの明るい未来に続いていると確信しております。

国際海峡都市「下関」を目指して

 下関市は三方海に囲まれた地形で、また、本州最西端で東アジアに近いという立地を生かし、貿易等盛んに行われてきました。

 そして関門海峡を挟んで北九州港と共に形成される「関門港」は西日本において、神戸港と並び最大規模を誇っております。この様に、大きな可能性とポテンシャルを秘めた海峡を持つまちです。

 地方創生や道州制等、国やまちの様々な未来への方針が打ち出される中、官・民を巻き込んでの関門一体のまちづくりを目指し、ビジョンを発信していく事により、100 年後でも魅力ある、そして揺るぎ無い国際海峡都市へと生まれ変わる一歩を踏み出します。

 下関市は、関釜連絡船を始め古くから東アジアの玄関口として活躍してきました。下関青年会議所は、その下関市の特色を生かし、国交正常化前から釜山青年会議所と姉妹締結をするなど、国際交流事業には力を入れてきました。

 世界情勢不安や国家間での確執が取り沙汰される中でも、我々の築き上げてきた友情は不変であり、一昨年、釜山青年会議所とは姉妹締結 50 周年、昨年は釜山・福岡青年会議所とのトリオ JC 締結 50 周年を迎えました。半世紀以上に亘る友情を基軸に、国境を越えた相互理解をさらに深め、各地域の発展に繋がる 51 年目の国際交流を展開していきたいと思います。

繋がりある市民祭へ

 市民祭として定着している馬関まつりも、今年で 39 回目となりました。しかしながら、近年では毎年同じ場所で、同じ流れを繰り返している様に思えます。

 わたしが子どもの頃、馬関まつりといえば唐戸からシーモールまで繋がり一体となったまつりでしたが、現在は海峡ゆめ広場、シーモール、豊前田、唐戸と、各会場が独立した様な運営となっており、「市民祭」にもかかわらず、同日に複数のまつりを開催している様に感じます。

 今年度は各会場との横の繋がりを深め、昔の様に各会場が一体となったまつりを目指し、その一歩を踏み出して行きたいと考えております。そうする事により、同じ流れの繰り返しではなく、毎年進化を続けるまつりへと変貌を遂げる事が出来ると考えます。

新たな歴史の分岐点

 我がまち下関は、アジアでも有数な海峡を擁し、美しい自然に恵まれ、また有史以来、源平合戦・日清講和条約締結など、日本の歴史において重要な分岐点となった場所です。

 しかし、現在は基幹産業であった水産業・造船業は衰退し、交通の要所として重要な役割を果たして来たものの、現在は通過都市化も進み、人口減少・流出に歯止めが掛からない等、様々な問題点を抱えております。

 そこで過去から現在までの下関の軌跡を検証し、先人たちがどの様にまちを築いていったのか、また現在に至るまでの様々な原因を認識する事により、今後進むべき道筋が見えるのではないかと考えます。

 過去から学び現在を生きる我々の新しいエッセンスを加える事で、下関の新たな方向性を打ち出す事業展開をしていきたいと考えます。

終わりに

 青年会議所は、「グローカル」という言葉が生まれる前から、それぞれの地域の特性を生かしつつ、世界規模の視点で問題を捉え行動してきました。それは、青年会議所誕生から一貫している事であり、だからこそ地域のリーダーであり続けられたのではないでしょうか。

 私は、青年会議所へ入会させて頂き、地域のリーダーとして、誇りとプライドを持って活動している先輩達の背中に憧れ、少しでも追いつかんと我武者羅に活動をしてきました。

 これまで、多くの経験と学びを頂き、また、様々な出会いと別れを乗り越え、そして、様々な立場で下関青年会議所と共に歩んでまいりました。

 決して秀でた才能を持っている訳ではありませんでしたが、常に青年会議所会員としての責任と気概を持って行動する事により、素晴らしい仲間達が私の足りない部分を補い、支えてくれました。そして、私自身も持てる力の限りを尽くしてメンバーを支えて行く所存でございます。何十年後の未来に住む人々が過去を振り返った時に、「あの年があったから今がある」そう思って頂けるような年にしてまいります。

 それこそが、下関市が希望溢れる未来へ動き出す新たな歴史の分岐点となると確信しております。

 一般社団法人下関青年会議所

2016年度理事長予定者

重 井 鉄 平

バナー